「情報が多いと逆に迷う」などということはない

事の発端

家を購入したことは先日の記事の通り。

家を探す過程では様々な人にあって(ほぼ不動産関連の方ですけど)色んな話を聞いた。

その中で言われた一言が「情報は多くないほうが良いですよ。逆に迷っちゃいますから」。

いろいろな人がいるのを認める私ですから、一般会話であればこんなものは、スルーだ。

しかしながらたいへん大きなものを買うときに、お客さんに対してこれを言ってしまうのは、ちょっとまずいんではないか。

なるほど、聞こえは最もらしい

納得する人も多いかもしれない。使っている人は納得しているから使っているか、わかって使っているかのどっちかだろうか。

情報が多くなってきて、錯綜してしまうと、それはストレスだ。

まとめ上げきれない情報にまみれて、相対的基準な判断と絶対的基準から判じ得ず困る。

そんな時に「情報は多すぎるとかえって惑わせますよ」ということを聞けば、なるほどと思うかもしれない。


知って知りすぎることはない

しかし考えてもみよう。知らない箇所を残したままで決断することの危険性を。

迷っているのに「あとは決断」だと思い込んでしまったその後を。

ある著名人は言った。

「情報で迷っているときは、情報が足りないからだ」と。

ハンターハンターのイルミは言った。

「情報の出揃わない交渉に意味は無い。相手は苦しそうな表情で、心のなかでほくそ笑んでいるかもしれないんだから」(と、こんな趣旨のことを言っていた、原文見つけられず失敬)

情報で迷っているということは、それを判断する情報を見つけられていないのだ。

そして知れることを知る努力をせず、知らないままにしておくことはざっくり危険だという印象をもてるだろうか。

これを英断とは言わない。博打だ。逃げだ。嫌いな言葉を当てはめてみるといい。

情報が錯綜したって、混乱したて、その後に続く知らずに買った知らなかった困難を背負い込むよりはまだいい。

家を買うことにおいては、まぁそれなりに大きな決断(今では否定的だが)ではあるので、取ったその行動のあとに起こる事象の責任を取るのは自分自身だ。決して言ったその人(渡しの場合営業のその人)ではない。

なので考えようによっちゃ、決して言ってはいけない、最悪のアドバイスだ。

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