ネットの炎上はとどのつまりいじめであると結論付けたこと
いじめはいけないこと
僕たちは、いじめをしてはいけない。なぜなら、大変に傷つく人がいるからだ。
僕たち大人はそれをよく知っている。
僕たちはヘイトスピーチをしてはいけない。なぜなら、こちらにも大変に傷つく人がいるから。
法律があろうがなかろうが、人を傷つけることは良くないことだ。
僕達は知っている。知識で頭でそう理解している。
そんな「いけないこと」がのさばっている場所がある。
ネット上だ。
その批判を書き出してみよう
批判が過ぎて炎上した例を上げて考えてみよう。
例1:五輪のエンブレムの話
8月初め頃、五輪のエンブレムにおいてデザイナーの盗作疑惑が持ち上がった。
そこから過去の作品に対しての疑惑が世界中から届くことになる。
京都の講演会に参加したことで「反省ゼロ」。
8月中旬を過ぎたあたりから業界批判もスタート。
オリンピック協会の説明、本人の発言、取り下げを発表しそれぞれきちんと炎上する。
擁護した人リストなんかを作ってるサイトも発見。
多くの掲示板なんかで攻撃的なコメントが踊る。
例2:安藤美姫の話
2015年年始に「嫌いならみなければいい」という意見をインスタグラムでコメントした安藤美姫。
調べた限り「性格が悪い」「顔が嫌い」などの批判があるのだが、大きく避難されたタイミングは結婚をせずに子どもを産むと発表した時だろうか。(←ほっとけよと思う)
その前から小さな火は存在していたような気がするが、追っかけるのめんどい。
批判の中にあるのが「性格悪そう」「そもそも嫌い」的なコメントが散見される。(会ったことあるんかー)
もっとたくさん並べようかと思ったが、思いの外エネルギーを消費したのでここまでにしておく。
ネット炎上はつまりはいじめだ
これらの騒動後の炎上には共通項目がいくつかある。
否定的に解釈している声が一定人数いること。発言時になにを言っても否定的な解釈がなされること。そして、家族や知人にまで攻撃が広がることなどが挙がるだろうか。
非がある場合は批判の声が上がってもともとではある。例えば盗作はいけないことだ。なぜなら、それによって被害や損失を被る人、傷つく人がいる。
しかしながら非難されるべき行為そのものではなく、人格・人間否定の攻撃や、直接的な嫌がらせまで発展してしまっている時がある。
私はこういう行きすぎた行為は控えるべきであると考える。
オリンピックエンブレムの批判の件はまっとうなものである。「盗作はいけない」。それはその通りだ。
過去の作品を盗用したかどうかの検証もそれぞれの持場で行うべきであろう。
同時にまっとうでないものも存在する。挙げたらきりがないが、人格攻撃や個人攻撃などがそれにあたろうか。
ここ数年はニュースでも「ネットの掲示板では〜」といったような紹介もするから、今回の「物申し隊」も増加の一途だ。「一言言ってやりたい」という気持ちを持った一般ユーザーがネットへと誘われる。(ただの予想)
ここからはいわゆる公な場所の話ではなくてネット上の話に絞る。
ネット民は一度自分の批判ポイントを見つけ出したら、謝罪や弁解は一切受け入れない。安全圏から自分の非難ポイントに触れた有名人や企業などを勝手な解釈下で、気が済むまで攻撃していく。ほとんどは無責任に発言されていることが多く、そしてそれが無責任であることを理解していない事が多い。
もちろん、批判者の中には最低限のマナーをもって行っている人もいるかもしれないがまれであろう。なぜならマナーを持っていたらネットでは発言しないで、別の方法を使うべきだからだ。
ところで私はホラーやスプラッター映画は一切観ない。それはその盛り上がるシーンにて、イメージが脳内に入み、感情移入がひどいからなのだが、その感情移入とおなじ感覚を炎上では味わってしまっていてツラい事が多い。
もちろん、そんなにつらいネットは「嫌だからみなければいい」ので、基本みない。
佐野氏の発表にこのようなものがあった。
「また、私個人の会社のメールアドレスがネット上で話題にされ、様々なオンラインアカウントに無断で登録され、毎日、誹謗中傷のメールが送られ、記憶にないショッピングサイトやSNSから入会確認のメールが届きます。自分のみならず、家族や無関係の親族の写真もネット上にさらされるなどのプライバシー侵害もあり、異常な状況が今も続いています。
今の状況はコンペに参加した当時の自分の思いとは、全く別の方向に向かってしまいました。もうこれ以上は、人間として耐えられない限界状況だと思うに至りました。」
それに対する掲示板の書き込みが下記だ。
———————
「なんでこいつが被害者なの?」
「耐えられないのはこっちだわ 犯罪者はさっさと退場しろ」
「盗人猛々しい」
「エンブレム取下げは序章に過ぎない 佐野の本当の地獄はこれからだ」
———————
いや、乗っ取りとメールアドレスが勝手に登録されるのは盗用かどうかとは別の問題だ。
この点において佐野氏は被害者でしょ。
盗作した可能性のある人はそういうことをされても文句は言えない?
いやいや、それとこれは別の話でしょう。さらに苦しめようと示唆する文章まで出る始末(まーなにも出来ないと思うけど)。
そのページ内において、他にポジティブな記載があったかもしれないがそれを探すのは気が滅入るのでやめた。
別記事では、前向きな発言をしている人も見つけたが、その発言で叩かれている光景も見たから、これではますます発言できないだろう。
結局自分たち(多数)の居心地ののいい場所にするべく、自分のイラつく発言をする人間を駆除していくのだ。
このような私刑、魔女狩り、一方的な迫害と同じレベルものもを行って、仮に対象者を自殺に追い込んでも自分は正しいことをやったと勘違いできるものだろうか。もしそうならかなりまずい。
中高生のLineのいじめがどうかとか言ってる場合じゃねーぞ、って話。(いや、言うのも大事なんですけどね)
規制は息苦しいが、ある程度の個人を守るために動く必要がでてくる
もちろん、ネット上での発言は全く重要視されていない。
しかしながら、過ぎたるは及ばざるが如し。何事もそうである。
行き過ぎると、ろくなことはない。
例えば、会社に努めている人は、会社独自のルールがあると思う。学校だったら学校独自にも特別ルールがあるかも知れない。
そのルールは、おそらく過去に事故になったり問題になったりして、対外的に何か対策を迫られ作られたものである可能性がある。
私たちが日頃生きづらく感じているルールの一部は、過去の行き過ぎた行動をした人たちのツケを支払っていることを忘れてはいけない。
アカウント乗っ取りやメールの勝手な登録は、言うまでもなく良くない。そしてネットで騒ぎ立てるもの、度を超えないことはこれからのネット社会のマナーだ。
これだからネットに規制が必要だなどという話が始まる。
個人攻撃と批判はしっかりと見極めてやっていただきたい。
個人攻撃とは、いじめそのものである。
それこそ、未来に残す恥にならないように心得ていただければとても嬉しい。
自分で嫌なところに進んでいくなど、私は断固として反対である。
そして私は、安藤美姫はそもそもどんな悪いことをしたのか、最後まで見つけられなかった。
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