少子化ってMONDAI?
結論からいうと、少子化っていうのは、問題というより、ブームだと思っている。
かつて日本にはこの歳に女児を出産すると、厄災をもたらすという迷信が存在した。(今も?)
かの有名(?)な丙午[ひのえうま]伝説である(←これは皮肉です)
出生関連で思いついたから記載しただけで、あまり相関は無いようだが、文化というジャンルでは同じものとして言及させてもらった。
単純に産みたいかどうかを決めるのは30代±10年の世代がメインだから、その人たちの文化の形が現在の状況だということだ。
影響をあたえることはあっても、決してそれ以外の世代が決めるわけではない。
■幸せの価値観、広がる
じゃあなぜ以前に比べて産まなくなったのか、30代の視点としてまとめてみた
自分の幸せの定義が多様化している
「結婚して子どもを産む」という万人共通の幸せに当てはまらない人が増えてきていること。
いや、増えているというより、これまでは黙殺されてきたという言い方が正しいかもしれない。
「子どもを産み育てることだけが幸せじゃない」というアクションが認められてきたとも取れる。
ただしそういう意味では国は現状、経済成長をするべきという考え方が民主的に多数なので、働き手が減る少子化は国策とは外れたものになってしまう。
国の向きとは異なるがゆえに (国は「みんな」に合わせて方向転換をしていくのでいずれは追いつくとはいえ)少々生きづらくなる。
私の予想ではもうすぐ「いつ結婚するの?」「いつ子ども生まれるの」という人種は絶滅危惧種ラインに突入することだろう。いなくなることはないと思うけど。
子どもに時間を使いたいという人
子どもを産むこと自体にはポジティブだが、質も量も上げたいと考える人。
夫婦の子どもに対するキャパシティが100あったら、二人なら50ずつ、三人なら約33ずつに割り振られる。
子供の数が増えることで、子ども一人あたりの時間やお金などを減らしたくないという意識がどこかで働く。
時間的にも、金銭的にも、習い事や社会的なアクティビティへの参加、レジャーなどもやりやすくなる。
子どものチャレンジを応援する余裕もできる。
子育てを楽しみたい人
前述したものと似ているようだが、主語が「子ども」であるのに対して、こちらは「夫婦」が主語だ。
例えば夫婦で話し合いながら子育てがしたいと考えるグループ。
育児を共に楽しみ、取り組む一方で、夫婦の行事やアクティビティなども大事にしたいと考える。
これが全てだとは、もちろん言わないし、枝分かれさせれば様々な理由が挙げられようが、3つ取り上げた。
■少子化の議論は決着がつかない
少子化の議論をしている人すべてが、子どもを産み育てる世代ってわけじゃないから。
そして、その議論のほとんどは「少子化だ→だから産め」という直線的な帰結は求めていないと思う。(たまにいるとは思うけど、わかりやすい答えばっかり求める人とか)
だいたいは「出生率が下がると、国の元気さも、社会保障もなくなるよね~うーん、どうしよう」ていう感じ。
だから、少子化っていうのは雑談の1つにしか過ぎない。雑談は問題ではない。
そういうブームが到来しているのだ。丁度2015年にファッション業界でデニムが流行っているように。
結局は、個々人の選択によるものだから、そういう方向性での人間の選択が間違っていることなどないのだ。
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